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盛岡地方裁判所 昭和41年(む)169号 決定 1966年12月21日

主文

本件各申立は、いずれもこれを棄却する。

理由

一、本件準抗告申立の趣旨および理由は、末尾添付の準抗告申立書ならびに同申立補充書各写記載のとおりであるから、これを引用する。

二、申立の趣旨一、裁判官田辺康次のなした捜索差押許可の裁判について

(一)  取寄資料によれば、盛岡地方裁判所裁判官田辺康次は昭和四一年一〇月二二日、被疑者両名に対する地方公務員法違反被疑事件について、

捜索すべき場所

「盛岡市繋字館市一二六の三

繋小学校内職員室および校長室その他差押えるべき物件が隠匿保管されていると思料される場所(但し教室を除く)」

差押えるべき物

別紙のとおり

有効期間 同月二九日まで

とした捜索差押許可状(以下田辺令状という。)を発したことが明らかである。

(二)  申立人らは田辺令状の「捜索すべき場所」の記載は、その特定明示性を欠き、かつ一般令状として無効である。

即ち

(1)  田辺令状の捜索すべき場所の記載のうち後記部分即ち「差押物件が隠匿保管されていると思料される場所」という表示は全く漠然としていて、いわゆる併設校として繋小学校と同一校舎を使用している繋中学校が使用し、占有管理している場所とを区別しない表示である。

(2)  凡そ捜索、差押許可状は捜索すべき場所、差押えるべき物を特定明示し、かつ、捜索すべき場所が同一であっても管理者を異にする場合は、その場所毎に各別の令状によらなければならないから、いわゆる併設校である繋小学校の場合においては、同校に対する令状と繋中学校に対する令状とが必要であるべきところ、前記田辺令状は捜索すべき場所として、申立の趣旨に記載する如く表示しているに止まるから、かかる令状は違憲、違法なものである。

と主張するので、順次検討する。

(三)  憲法第三五条は、捜索および押収は捜索する場所および押収する物を明示する令状によるべきこと、捜索または押収は各別の令状により行われるべきことを命じ、右規定をうけて、刑事訴訟法第二一九条は「(差押、捜索等の令状)には、被疑者若しくは被告人の氏名、罪名、差押えるべき物、捜索すべき場所、身体若しくは物(中略)を記載し」なければならない旨を定めている。そしてその趣旨とするところが、刑事手続における住居および財産の安全の保障にあることはいうまでもない。

即ち捜索、差押許可状に「捜索すべき場所」、「差押えるべき物」を明示せよとした趣旨は、「被疑者の氏名及び罪名の記載と相俟って、特定の被疑事件について捜査機関に付与すべき捜索、差押の権限を明確にし、それによって捜査機関が捜索、差押権限を濫用し、権限外の場所、物件などを捜索したり差押したりすることによって処分をうける者の住居及び物の所持の安全を害することのないように期するとともに、相手方は、右許可状の記載に照らし異議を述べ、または刑事訴訟法第四三〇条により裁判所に対し違法な捜索、差押処分の取消を請求することができるようにし、もってその住居の安全及び財産権を防衛することを可能ならしめようとした」ことにあるといえるのである。そうすれば、右各法条による捜索、差押令状の有効要件としての「場所の表示」は、「場所」即ち「限定された空間」が「明示される」即ち「その限定された空間が特定され、かつ、その限界が明確にされる。」ことによってなされるべきであり、また「各別の令状による」即ち数個の捜索、差押は数個の令状によってなされるべきであるということになる。

ところで、「捜索すべき場所の特定明示」とは、右のとおり「限定された空間が特定され、かつ、その限界が明確にされること」を意味するが、そのためには、その場所の「空間的位置の明確化が可能であること、即ち空間的位置の明確性」と、その場所が「空間的にみて単一であること、換言すれば、その場所の管理(居住)権が単一であること、即ち単一管理(居住)権帰属性」とが、いずれも不可欠の要件をなし、右二要件を具備している場所に対してのみ、一個の捜索、差押令状により、捜索、差押が可能となるのであるから、一個の捜索、差押令状における「捜索すべき場所の表示」の記載もその記載を合理的に解釈するとき、その記載から、当該捜索すべき場所が右二要件を具備している場所であることが判明すれば、それで充分であるというべきである。即ち換言すれば、右二要件を具備している場所であることが判明しうる程度に令状上に記載してあれば、一個の捜索、差押令状における「捜索すべき場所の表示」としては充分であるというべきである。

そして、右にいう単一管理(居住)権帰属性とは、必しもその権利者が単一人であることを要するものではなく、複数人が共同して単一の管理(居住)権を行使している場合(例えば甲、乙の共有する共有物件上の甲の管理権、乙の管理権)、或いは複数人が、同時に同一物件ないし場所上に併存的に単一の管理(居住)権を行使している場合(例えば甲、乙の共用する共用物件上の甲の管理権、乙の管理権)においても、右にいう単一管理(居住)権帰属性の要件を充足するものと解すべきであるから、捜索、差押令状における「捜索すべき場所の表示」としては単一の管理(居住)権が表示されておれば、それで充分であって(例えば前記事例で、甲或いは乙いずれかの管理(居住)権が表示されておれば充分である。)、それ以上に亘って各別に管理(居住)権が表示される必要はなく(従って前記事例で、甲および乙の管理(居住)権が表示されることを必要とするものではない。)、いわんや、各別の令状を必要とするものではないと解すべきである。

(四)  右の見地から田辺令状に記載された「捜索すべき場所」について検討する。

(1)  まず「繋小学校内職員室」という部分についてであるが、取寄資料によると、繋小学校はいわゆる併設校で繋中学校と同一校舎を共用しており、一階は小学校校舎、二階は中学校校舎となっており、校長室、職員室は一階にあること、同校校長は菊地高夫で小中学校長を兼任し、両校校舎その他の施設全体を一人で管理していること。職員室は一室で、出入口には単に「職員室」と表示され、内部には小、中学校職員の事務机一六個が配置されているが、その配置は南側に小学校教員の机八個、北側に中学校教員の机六個と小、中学校各用務員の各机二個の計八個が各一団をなして各配置されているのみで、その間において、一個の職員室を、小学校部分および中学校部分の二つの部分に区劃する仕切りのようなものが存在しないことは勿論のこと、その他小学校部分、中学校部分とを各別に区分し、そのおのおのが各別の排他的管理(居住)権に帰属することを表示する標識は何等存在しないことが認められる。したがって、この一室は小学校部分と中学校部分に空間的に明確に一線をひいて区分することはできない状態にあり、結局小、中学校共用の職員室とみるべきである。

次に校長室について検討すると、校長室は一個であり、校長は一名で、小中学校長を兼任しているのであるから、右校長室が、小学校長室部分と中学校長室部分との二つの空間的部分に区分できないことはいうまでもない。

(2)  右のような状況からすれば、右職員室および校長室は、いずれも空間的には一個の場所であるところの「盛岡市繋字館市一二六の三繋小学校内(繋中学校内と表示しても単なる空間的な位置の表示であるから、同一に帰する。)」に存在するものであるから、田辺令状における捜索すべき場所中の前段部分の表示は、「空間的位置の明確性」の観点からみて、何等の違法はない。

(3)  次に「その他差押えるべき物件が隠匿保管されていると思料される場所(但し教室を除く)について検討すると、この令状の記載自体から文理上これが「繋小学校内の場所で、職員室、校長室および教室以外の場所」であることは明らかである。してみれば具体的にはこれは当該学校内でいずれも一個しかないことから小、中学校共用と認められる体育館(講堂)、図書室、宿直室兼小使室等を指称するものと解される。そしてこの記載は、右のような場所のうちさらに「差押物件が隠匿保管されていると思料される場所」とそうでない場所とを区別し、前者だけを指すような表現と解しえられるが、もともと法律は、「差押物件が隠匿保管されていると思料される場所」即ち「捜索すべき場所」を合理的に解釈してこれを特定明示しうる程度に記載すべきことを要求しているものであるところ、右のような記載は、捜索すべき場所を特定明示し、管理(住居)権を異にする場所に対する侵害を排除するための限定語としての限定機能を果しえないものといえるから、結局田辺令状の「及び」以下の記載部分は、繋小学校内の校長室、職員室、教室以外の部分」を指称するに帰着する。してみれば、田辺令状に記載された捜索すべき場所は「繋小学校内(ただし教室を除く)」であると解すべきである。

(五)  そこで、次に田辺令状の右の如き記載が捜索、差押令状の「捜索すべき場所」の表示として適法であるか否かについて検討する。

(1)  取寄資料によれば「繋小学校」は空間的位置が明確な特定の場所であることが認められるから、田辺令状の「捜索すべき場所」の記載は、これを前記の如く解釈しうる以上、その場所としての空間的位置の明確性の観点からみた場所の表示としては、何等欠けるところは存しない。しかし仮りに空間的にその位置を明確化した一個特定の建造物であっても、それがアパート、貸ビル等のように、更にその中に異なる管理(居住)権が各独立排他的に存在する複数の限定空間に更に細分しうる場合は、前記単一管理(居住)権帰属性の要件を欠き、その捜索、差押には各別の令状を必要とし、一個の捜索、差押令状をもってなすことは不適法というべきところ、取寄記録によると、「繋小学校内の教室を除く部分」は、すべて繋小学校および繋中学校の共用部分であることが認められる。そして、このように複数の管理(居住)権が、同時に同一場所上に併存している場合でも、前記のとおり単一の管理(居住)権帰属性を具備するものというべきであるから、その単一管理(居住)権が令状上に「捜索すべき場所」として表示されていればそれで充分というべく、いわんや各別の令状を必要としないこと前記のとおりであるところ、右の観点からみるとき、田辺令状の「捜索すべき場所」の表示のうち前段部分は、「繋小学校長の管理権に対する帰属」を表示するものであり、而して同部分が別途繋中学校長の管理権に帰属するとしても、右小学校長の管理権と中学校長の管理権とが、全く同時に、全く同一物件および場所である右部分に併存的に及んでいることが、取寄資料によって認められること前記の如くである以上、単に前者の管理権に対する帰属性のみが令状上に表示されていれば充分であり、右以外に、更に後者の管理権に対する帰属性が令状上表示される必要はなく、いわんや各別の令状を必要とするものではないと解すべきであるから右前段部分の記載は、何等前記二要件の表示として欠けるところはないと認むべきである。

(2)  しかし、後段の記載は結局「盛岡市繋字館市一二六の三繋小学校内の職員室、校長室、教室を除くその余の部分」というに帰し、右表示を合理的に解釈すると、一応は繋小学校長の管理権に帰属することを推認しうるけれども、必しも明確とは称し難く、従ってかかる記載は、単一管理(居住)権帰属性の表示としては不完全なものといわなければならない。

(3)  然らば右の如き不完全な表示の存する令状の効力は如何に解すべきであろうか。

(イ) 第一の立場は、かかる記載はその場所が具体的にどこであるか、またその場所が何人の管理(居住)権に帰属するものであるかが不明であるから、「捜索すべき場所の特定明示」を欠く違憲、違法なものとして、当該令状は全部無効に帰するという。

(ロ) 第二の立場は、根本的には右第一の立場に立ちつつも、当該令状は全部無効に帰するものではなく、当該特定明示を欠く場所につき捜索、差押を許可した部分のみが無効に帰するという。

(ハ) 然しながら、当裁判所は、田辺令状の捜索すべき場所に関する後段の記載に関しては、これを有効と解すべきものと考える。その理由は次のとおりである。

ⅰ 捜索、差押令状における捜索すべき場所の表示は、前記のとおり空間的位置の明確性と単一管理(居住)権帰属性とを表示していなければならないものであり、而して右二要件の表示は「具体的に存在する捜索すべき場所」と「その場所を管理(居住)している具体的な権利者」を表示することによってなされるべきであることは勿論であるが、もし右記載内容を抽象的、形式的に判断した場合において、抽象的、形式的にみれば不完全であったとしても、右記載内容を「具体的に存在する捜索されるべき場所」と「その場所を管理(居住)している具体的な権利者」と彼此対照した場合に、右抽象的、形式的不完全性が何等具体的、実質的不完全性をらさない場合は、右抽象的、形式的不完全性は、何等令状の効力に影響を及ぼさないと解する。

ⅱ これを田辺令状について考えてみると、前記後段部分は抽象的、形式的に考えると、正しく単一管理(居住)権帰属性の表示としては不完全であるが、具体的な捜索すべき場所である繋小学校は一個の建物であり、右建物を管理(居住)している具体的権利者は繋小学校長および繋中学校長であるところ、右両校長は同一人であり、しかも同時に同一物件ないし場所である繋小学校(繋中学校といってもよい。)という一個の建物に併存的に管理権を行使していることが、いずれも取寄記録に徴して認められるから、右事実と田辺令状の後段部分とを対比して検討すると、右後段部分は具体的、実質的にみて、前段部分とは別個の管理(居住)権に帰属する場所を表示しているものでもなく、全く前段部分と同一な単一管理(居住)権に帰属する場所を表示しているものというべきである。そして、右後段部分の空間的位置も前段にいう繋小学校内に属することは、その記載に徴して明らかであるから、結局後段部分は、繋小学校内の繋小学校長が管理する場所(同一場所を同時に繋中学校長が併存的に管理権を行使していても、そのことは令状の捜索すべき場所の表示という観点からは、何等本質的に考慮さるべき差異をらさないこと前記のとおりである。)と同一に帰着する。

ⅲ そうすれば右後段部分は、これを無効と解する理由はなく、これを有効と解すべきである。

(六)  以上のとおりであるから、田辺令状については、これを取消すべき理由がないといわなければならない。

三、申立の趣旨二、司法警察員のなした押収処分について。

(一)  取寄資料によれば、昭和四一年一〇月二二日、盛岡警察署司法警察員千葉和夫が、盛岡市繋字館市一二六の三繋小学校、職員室内の繋中学校教諭高橋昭の使用する事務机の上から

(一)  一〇・二一を中心とした前後の行動規制 一部

(二)  幹事会議案              一部

(三)  分会長会議録             一部

(四)  第九回幹事会議案           一部

を前記田辺令状にもとづいて押収したこと(以下本件押収処分という。)が認められる。

(二) 申立人らは、右押収処分は、前記申立人らの主張の如き違憲違法な田辺令状によるものであり、仮りに右令状が、同令状上に「捜索すべき場所」として表示している場所の記載中前段部分すなわち「繋小学校内職員および校長室」という部分のみについて有効であるとしても、前記差押物件は繋中学校教諭高橋昭の使用する事務机の上にあったものであるから、令状に記載された場所以外の場所の捜索により押収されたもので、令状によらない押収処分として違憲違法なものであるから、右物件に対する押収処分は取消されるべきであると主張する。

よって、順次判断する。

(三)  (1) 先ず田辺令状が違憲、違法なものと解すべきでないことは前記のとおりである。

(2) そこで、右田辺令状に基く本件押収処分の適否について検討する。

田辺令状は、「捜索すべき場所」として「繋小学校内職員室および校長室およびその他差押えるべき物件が隠匿保管されていると思料される場所(但し教室を除く)」と表示していることは前記のとおりであるから、本件押収処分がなされた場所が、右令状に表示されている捜索すべき場所に包含されるか否かが検討されるべきである。

取寄記録によって認められる繋小学校内の職員室の状況は前記のとおりであるから、右職員室は全体として一個の空間的場所を形成するとともに、繋小学校長の管理権と繋中学校長の管理権が同時に、併存的に及ぶ場所、即ち小学校と中学校とが共用している場所であって、小学校長の管理権と中学校長の管理権とが、それぞれ一定の区域を分って排他的にその権利を行使している場所、換言すれば別個の排他的管理権にそれぞれ分割して帰属する場所とは到底認めることはできない。

そして、他方、田辺令状の「捜索すべき場所」の表示のうちの「繋小学校内職員室」の表示は、「空間的位置」としては繋小学校内に存在する職員室、「単一管理(居住)権帰属性」としては繋小学校長の管理する職員室(その場所が同時に併存的に繋中学校長の管理権に服する場所であっても差支えないこと、すでに前述のとおりである。)につき、右令状をもって、捜索することを許可したものと解すべきである。

(3) そうすると、前記差押物件が存在した「繋中学校教諭高橋昭の机の上」もそれが右職員室内である以上、田辺令状に記載された「捜索すべき場所」の表示のうちの「繋小学校内職員室」に含まれるから、本件押収処分は右令状による適法なものというべきであるから、申立人らのこの点に関する主張も理由がない。

四、以上の通り本件準抗告の申立はいずれも理由がないから、刑事訴訟法四三二条、四二六条一項に従い、いずれもこれを棄却することとし、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 安達昌彦 裁判官 新矢悦二 白石悦穂)

<以下省略>

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